ベトナム民族歌舞団公演に寄せて 2001、9、23

ベトナム語のこんにちはは
なんだかポアン・ポアンとよく弾む言葉だ
歌も踊りも衣装も
目新しくて
音については
ロシア風かなとか アメリカ風かなとか 北朝鮮風かなとか
いらんことを思い浮かべる場面が少なかった
あえて言えばタイ語のカラワン楽団の音の響きによく似てる
ベトナム料理も甘さと酸っぱさと辛さが基本なんだろうか?
暑い所のくだものの味がポアンポアンしてるのかな?
(シ-クア-サァ- タマリンド クドンドン 沖縄の植物園でみたっけか)
踊りについては
ちょっとロシア風な構成を感じたけど
暑い所の風俗だ
ぺたんこの笠を持った踊りには
川とか 船漕ぎとか 日差しとか ゆれる草とか
湿っぽい風とか
たぶん先入観もあると思うけど
土地の気象の中でどう暮らしているのか
表しているような気がした
笛は竹笛
音は二色
つんと突き抜ける篠笛とは違って
抜けない空気が管を二重に響かせている
いろんな鳥の声
しゃべりたそうだった中学生が
おお-っと 注目していた
女達のダンス
ミャンマーの踊りの手の動き
でも いやらしくしなをつくるというほどではない
学生さんらしくて 男のダンサーが
なんとなくウッチャンに似てた
目の素朴な人だ
みんな背が低い
胴も長い
そういうところに親近感を覚える
濁った色の肌には
きっと泥水がしみているだろう
私たちが白人の真似をしては
生活から排除してきた色だ
音もそう
私たちは西洋音階を学んで
無段階の音をへんなものと感じている
階段を行くのになれて
山道を忘れた感じ
直角と直線と真ん丸になじんで
自然の海岸線を消すような感じ
ベトナムのメロディ-は
融通無碍に上下する
たぶんこれは植物と仲よくしているから
こんなふうになるんじゃないかな
どこでも芽を出して
いっぱい刈られて
また生えて
ほっとくと家でも道でもすぐいっぱいにしてしまう
暑い所の草や木のすごい生命力
そういうものに合わせて出てきた抑揚じゃないかな
(とはいえ砂漠の音楽も無音階だから
ちょっと 断定はしかねるが)
ベトナム
それは30数年前
アメリカの空爆で枯れ葉剤をまかれ
村を焼き払われ
海や川からの必死の逃避行
それでも ホーチ・ミンに率いられた
ベトミンが最後に解放した
あのアメリカ帝国主義を敵にまわして
この人たちはほんとに強靭な人々なのだろう
マイクを赤ん坊に見立てて
揺すぶるリズムにも
弾みと 揺れと
おかあさんの 土臭い味があり
箏の自在にのびちぢみして上下する
不思議な音色と
ドウンドウンと鳴る月琴の音色
カコンカコンと楽しげな
パーカッション
ラテンの音とも違って
やっぱり ちょっと濁りがある
みがきたてると味が抜けるそういう感じ
彼らはたぶん頑固なんだ
その頑固な人々が
あの圧倒的なアメリカを
驚嘆させた
日本はずっとずっと西洋の後を追い続けて
自分のアジアをどんどん洗い落として
自分の所の土や草や 海や山や
言葉や 空気や 心の伝え方まで
機械化して
人間の体温やにおいや
肌触りを排除して
安心しようとしている
文化の根っこが自然の中にあるということもすっかり忘れて
機械から自動的に生まれてくる
奇妙な抑揚の歌に
むりやり言葉をのせて
それで「歌」ですなんて顔をしている
だから 色も音もあんなに嘘っぽい
私にはそれがすぐわかる
そして ベトナムの人々が
自分達のオリジナルのものをすごく大切にして
今に生かそうとしてることも
もらった三角笠をかぶって 喫茶店に入り
松阪屋を歩いて 地下鉄に乗ったら
私たちが 捨ててきた アジアが 肩の辺りに戻って
私たちはアメリカに向かって文句言えるだけの
力も歴史も蓄えていると
それを声に出してみな と言われたような気がした
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